カンボジア語は人口約1480万人のカンボジア王国の国語です。
クメール王国を築いた民族の名により,クメール語ともいわれる。モン語やバナル語などとともにモン=クメール語族をなすとされる。話し手は 1000万人以上あり,カンボジア本国のほか,ラオス,タイ,ベトナムに住む。固有語は1ないし2音節から成り立つ。孤立語的で文法関係は主として語順によって示され,主語-動詞-目的語,被修飾語-修飾語の形式をとる。サンスクリット語,パーリ語,タイ語,中国語などからの借用語が多い。南インド文字 (パーリ文字) 系のクメール文字を使用。最古の文献は7世紀の碑文。
カンボジアについて
9-13世紀のアンコール王朝を経て、14世紀以降国力が衰退。19世紀にはフランスの植民地となりました。1953年、シハヌーク殿下のもとフランスから独立を果たします。1970年3月アメリカの支援を得たロン・ノル将軍がクーデターにより政権を握ると、カンボジアの長期にわたる内戦の歴史がはじまりました。
1975年4月17日、前政権が倒されポル・ポト政権が誕生すると、さらなる恐怖政治が行われました。貨幣禁止、宗教の否定など急激な大改革が行われ、知識人の処刑や強制労働による衰弱、病気、飢えにより、少なくとも200万人以上の人々が命を落としました。1979年1月、ヴェトナムの支援を受けたヘン・サムリン政権が誕生し、人々はポル・ポトによる恐怖政治から解放されましたが、新政権がヴェトナムの傀儡政権とみなされたため、多くの国連加盟国(特に西側諸国)から支持されず、国の再建、復興は進みませんでした。
1991年10月、パリの和平会議において、カンボジア和平協定が調印されます。1992年3月に国連カンボジア暫定行政機構が最高国民評議会と共に総選挙、新政府樹立までカンボジアを統治することになりました。1993年に国連管理下で第1回総選挙が行われました。
カンボジア王国は近年目覚ましい発展を遂げています。そして、現地市民も母国であるカンボジア王国のさらなる発展に大きな期待をよせています。