ペルシア語での名称である「فارسی‌」(ファールシー)、日本語での名称である「ペルシア語」、英語での名称である「Persian」は、いずれも現代のイランの一地方であるファールス地方(古名: パールサ)に由来する。
 
ペルシア語では「پارسی‌」(パールシー)という呼称もある。「ファールシー」は歴史的にはアラビア語化した呼称であり、「パールシー」のほうが古来からの発音に近いが、日常的には「ファールシー」が用いられる。歴史的には「ダリー語」という呼称も用いられてきたが、現在ではこの名称は一般にアフガニスタンのペルシア語を指す。
 
アフガニスタンでは1958年に「ダリー語」が公式の言語名として定められた。それ以前は現地のペルシア語話者は自分たちの言語を「ファールシー」と呼んでおり、外部からも「アフガン・ペルシア語」等の呼称で呼ばれていた。
タジキスタンでは「タジク語」を公式の言語名としている。
 
その響きの美しさから、「東洋のフランス語」とも呼ばれてきたペルシア語は、今日のイラン、アフガニスタン、タジクの公用語です。アラビア文字を使って書かれるため、「アラビア語とはどう違うの?」という質問がよく聞かれますが、言語区分の上ではインド・ヨーロッパ語族に属し、南・西アジア課程では、ヒンディー語、ウルドゥー語がもっとも近い親戚にあたります。

ペルシア語は、その起源をアケメネス朝ペルシアまで遡ることができ、約三千年の歴史をもつ言語です。特に、現在に近い形で姿を現した10世紀以降、ペルシア語は、当時の主要な通商路であったシルクロードの共通語として、今日のイランから中央アジアにいたる地域で広く通用し、いわゆる「ペルシア語文化圏」を形成してきました。その一方で、豊富な文学伝統を花開かせてきたペルシア語は、地域の文化教養語としても一目置かれる存在にあり、幾多の詩人や哲学者たちを輩出し、東部イスラーム世界に大きな影響を与えてきました。ペルシア文学は、今も、ペルシア語を母語とする人たちの誇りであり、かけがえのない財産となっています。